バスク
誇り高き人々
スペイン北部にあるバスク国(バスク語: Euskadi, スペイン語: País Vasco)は、スペインの自治州の一つです。古来、バスク国は、ピレネー山脈西部に位置し、フランスとスペインにまたがる、ビスケー湾に面する地域を指していました。
先に、スペインは「多くの国を抱えた一つの国」であると説明しました。それは、言語によって説明するのがわかりやすいかもしれません。全国の公用語は、スペイン語(カスティーリャ語とも呼ばれる)、その他、バルセロナを中心に話されるカタルーニャ語、スペイン北西部サンティアゴ・デ・コンポステーラを中心としたガリシア地方で話されるガリシア語、そして、ここで紹介するバスク地方で話されるバスク語が地方公用語になっています。
日本語に似ているバスク語の構成
バスク語以外は全てラテン語に由来していますが、バスク語は、言語学的に周辺のインド・ヨーロッパ語族とは独立しており、系統不明とされている特殊な言語と言われています。一説によるとバスク語の構成は日本語に似ているとか。
ともわれ、美しい海と緑の多い山に囲まれた地域に、誇り高きバスク人が生活をしています。彼らは19世紀の産業革命以降この地方で産出される鉄鉱石とイギリスとの貿易で早い時期から重工業地帯として発達し、経済的に見てもスペインの中でも豊な地域とされています。
日本では、この地域の独立意識が高いことは、ETA(エタ)の活動でご存じの方が多いかもしれません。ETAとは、バスク語で「バスク祖国と自由」を意味する言葉 Euskadi Ta Askatasuna を略したもので、バスク地方の分離独立を目指す急進的な民族組織です。その活動とともに、斧にとぐろを巻くヘビがシンボルというのも不気味な感じがします。
一度は訪れてみたいバスク
このように記述すると足が遠のく方が出てしまうかもしれませんが、固有の歴史や文化を背景とした、独特な文化や風習、祭り、自然と調和した美しい街、素晴らしい自然景観そして、おいしいバスク料理と、旅人を誘う要素には事欠きません。そして街を巡るうちに、スペイン語(カスティーリャ語)とバスク語が併記されている地名表記を見ると、この地域の持つ複雑な状況を垣間見ることになると思います。
以下に、バスク地方のこころに残ったいくつかの街や村を紹介します。
ブルゴス(Burgos)
樫の木の下に集う人々ーゲルニカ(Guernica)
ゲルニカという言葉から思い起こすのは、ピカソの描いた有名な「ゲルニカ」でしょうか。1937年4月26日、ドイツ空軍が突如この街を襲撃し、2,000名以上の死者を出し、廃墟の街となりましたが、今では、緑の多い静かな街に生まれ変わっています。
街中の議事堂(Casa de Juntas)の裏手に樹齢千年にも及ぶ古木の残骸が小さな神殿に納められています。これがバスクの象徴としての「樫の木」です。
バスクは19世紀まで自治を与えられ、その起源は中世にこの樫の木の下で独立を宣誓したと伝えられているなど、バスクの精神的なシンボルともいえる場所です。スペイン内戦を経て平和と民主化が進められてきたスペインにおいて、バスク問題は政治的な大きな課題といえるでしょう。
私が訪れた時は、ちょうど結婚式が行われていました。近くのバルでこの地方の名産と教えてもらったシードルを飲みながら、青い空を見上げながら「平和」とは何か、ちょっと考えさせるひと時でした。
フランスとの国境の街ーフェンテラビーア(Fuentterabia)
フェンテラビーアは、フランスとの国境、ビタソア川に広がる漁村、対岸はフランスのエンダイアになります。木組みの家が立ち並ぶ、静かで落ち着いた街です。そこはかとなくの香りとでもいうのでしょうか、スペインの街とはちょっと異なる雰囲気があります。あるいは近年のフランスなどからの避暑地としての街の変化がそう思わせるのか知れません。
しかし、フランスとの国境の街ということから、戦争の犠牲ともなったような歴史的な背景があるようです。その名残りとしてか、山の上には旧要塞が街を見下ろしています。今ではそれが国営パラドールとなり、過去と現在を結んでいます。バスク巡りの機会があれば、ちょっと足を延ばして、海水浴やおいしいレストランを見つけてのんびりするというのはいかがでしょうか。